2011年6月7日(火)
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「鼻かみ列伝」



 鼻をかむこと30年。ついに私は鼻かみの奥義を極めけり。

 ここに来るまで私がどんなに辛酸をなめたことか。きっと民のものにはわからないのだ。

 毎日、毎日、鼻がずるずる流れ。交差点では、鼻水がダラーッと1メートルくらいも垂れ下がったのだ(実話)。その伸びた鼻をかむ紙がなかったので、指で切ったのだぞ。どうだ、どんなにこのわしが汚らしい奴かわかったろう。

 あるときは、鼻が垂れ、くしゃみをしたら、四方八方に花火のように飛んだのだぞ。その見事なことと言ったらなかった。それはそれはきれいな鼻びらだった。

 またある時は、鼻が垂れるのを止めようと息張ったので、糞も漏れてしまったのだ。おお、なんと汚らしい話題であろう。わしの汚さといったら比べるものがないほどに、見事なものだ。

 わしは、鼻かみと共に青春時代を過ごし、歳をとっていった。場数も踏んでいったのだ。

 鼻かみにもライバルがいたのだ。奴らとの壮絶な戦いは見物だったぞ。わしよりも強い、鼻かみがいたのだがそいつとの戦いを話そう。そいつの技は、両方の鼻から鼻水を垂らし、その伸びた鼻でわしの眼を狙ってくるのだ。そいつの鼻に眼を舐められたら、奴隷になってしまうという、それは怖い鼻かみ野郎だったのだ。そいつにどうやって勝ったのかって? それは、足をかけて転ばしたのじゃ、ワッハッハ。
 

 わしは鼻をかんだり、糞をしたりして自分自身を鍛えたのだ。鼻みず曲げ、鼻筋100回、鼻止め30分など、どの本にも出ていない鍛え方で訓練した。そのおかげで気力は充実し、鼻力もついていったのだ。そんなわしが一番つらかったのは、鼻水が出ない日が1年に2回くらいある、そんな日じゃった。鼻水の訓練をしたのに出なくて、水を鼻から入れて、どんなに痛かったことか。みんなも経験があるじゃろう。

 そんなわしが1年前に、奥義を極めたのだ。どんな奥義かって? そんなすぐには教えられないなあ。わしが30年もかけてたどり着いた、極めの技だからだ。それじゃずるいって? じゃあ少しだけ教えて進ぜよう。


 それはこのようなことじゃ。わしにとって鼻水が流れるのはあたりめじゃった。鼻水を流そうと思わなくても出てきたのだ。そう、訓練してつかむことではないのだ。鼻水の流れに身を任せ、鼻水の意思を聴くのだ。鼻水がどうしたいか。鼻水は答えを知っている。鼻水は進みたがっている。鼻水自身の気持ちがあるのじゃ。その気持ちを汲んで、好きなようにさせてやるのじゃ。こうしよう。ああしようと、考えるのではなくて、鼻水の進む道にジッと付き従うのだ。鼻水に寄り添うのじゃ。鼻水に従っていけば、鼻水は水を得た魚のように自由に大海を泳ぐのだ。いいか、わすれるな。鼻水の出す、ズルズルジュルジュル、ビチョビチョに耳をよく澄まし、聞き取るのじゃ。微妙な音の違いがあるから、その気持ちを汲み取ることじゃよ。少しは分かったかな? ちょってでもそんなものかなあと思えばよろしい。それでいいのじゃよ。


 鼻みず技を極めたわしからの話はこれで終わりじゃ。
鼻みずピチョピチョリン。トンコロニュウロン、チッツーナ。この呪文をよく覚えておけ。いつか役に立つことがあるじゃろう。では。