工業製品の靴下

追記


2011年9月24日(土)
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 今日の歌で、疲れていたから、直線的に歌えなくなった。それで強弱をつけて歌った。演歌歌手みたいに。
 僕は直線的に勢いでしか歌ったことがなかったから、新しい経験だった。弱く歌うところを作ると、負担が減る。聞く人の負担も減るのだろう。





「工業製品の靴下」



 暗闇で、MDのブルーのライトが光っている。Girlsの曲が終わった。ラジオ番組をそのまま録ったおんがく。



 暗闇でベッドから起き上がり、MDの青い光の中で、手探りで紺の靴下を探った。やわらくて化繊の工業製品の感触。僕は確かに靴下の感触を食べていた。あじわっていた。感じていた。ブルーのライトが光るなかで目を開いて靴下を手で感じていた。






2011年9月24日(土曜日)
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 トータルで歌は、60%くらいだったと思う。良くも悪くもなく。とりあえず歌いに行って、感触は残ったくらいだと思う。



 歌に力を入れているけれど、みすぼらしい道を歩くという、自分の現状とそれへの働きかけという関係性、正しい僕の実力、自分の取り組みへの距離感の正しい取り方、自分のための人生という意味でのもの。


 僕は長らく華々しい人生にあこがれ、それを歩もうと無駄なあがきをしてきた。けれど、44歳になって自分の人生を振り返り、実力、現実、真の姿をみると、みすぼらしい道を歩んで、これからもみすぼらしい道を進んでいくというのが正しい自分との距離感だと感じる。背伸びは一文の得(いちもんのとく)にもならん。実力にあったことをしないと無意味だ。僕にとっての正しい道を歩くには、標語が大事で、僕にとってのキーワードは、背伸びをしなという自戒を込めても、「みすぼらしい道をトボトボ歩く」というのがふさわしい。

2011年7月29日(金)
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「明子と卑小な僕」





 お前はずるいぞ、おまえはずるい、なんて図々しい奴だ。清は詰問調でこういった。僕は、なんでだよと言い返した。清が言うには、お前は抜け駆けするからなと言われた。


 ははあ、これは、あの時のことを言っているんだな。明子をデートに誘ったことをだ。確かに僕は抜け駆けした。清には悪いが、明子を誘わないで他の奴に取られるのは嫌だった。清に明子を取られるなんて論外だ。こいつにだけは取られたくない。だって、こいつはただの助平な奴だからだ。明子と寝たいだけなんだ。僕には正論があるぞ。明子が好きなんだ。好きで好きでたまらないんだ。でもこういったところで、僕にも明子と寝たいという以上の気持ちは見えなかった。清と同格か。おもしろくないけれど認めよう。俺もあいつも大して変わらない。清が明子を欲しいように、それ以上に俺は明子が欲しいんだ。明子が若いからだ。若い性がまぶしすぎるんだ。明子の肢体は俺を困らせる。俺はただただ明子を求める僕(しもべ)となるだけなんだ。明子という大きな罠に落ちた負け犬なんだ。俺がどんなに明子を求めても、明子という大きな手にからめ捕られ、仕える給仕のようなみじめな立場からは出ていくことができない。清と争っている。清は単純な奴だから、明子と仲良くなろうと努力するだろう。俺は、欲しいけれど、ストレートに求められない。ワンクッション置いて、ごまかそうとするんだ。身体だけが欲しいんじゃない。好きだという気持ち、明子を思う気持ちがあると。身体目当てだなんで自分に対していうわけにはいかない。俺はずるい奴で、臆病で、腰抜けなんだ。いつだって俺は卑怯者なんだ。清のほうがよほど、自分に正直で心を開いていることか。そう、俺の最大の卑怯な点は心を開かないで、鎧を身に着け、鎧を誇示し、自分の惨めで卑小な自身の姿を隠そう、みんなの目から欺こうとするところなんだ。俺の核心は、爪の垢なんだ。
 

2011年7月2日(土)
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「めぐみ への手紙」



 僕わー、バービーにんぎょうで遊ぶのが好きなんさ―。だからー皆から気持ち悪いって言われてるんだー。僕はバービーに「めぐみ」ってなまえをつけてるんだー。

 めぐみのどこが好きかというとー、肩のあたりが好きなんだー。リカちゃんにんぎょうにはだせない肩のラインが好きなんだーパヨロン。僕わー、めぐみのこと愛しているんさー。毎朝キスしてから起きて、寝る時もキスするんさー。めぐみと結婚もしようとおもってるんだーパロパロ。めぐみLOVEな毎日なんだよー。わかるー? この俺の純な気持ち。めぐみちゃんを愛してるんだー。ダレもめぐみと俺の間に入ることは許されないんだよー、ハッケヨイ。ノコッタ、ノコッタ、ぱくろん山の勝ちー。

 俺ってイカしてるのに、誰も理解してくれないんさー。こんどめぐみを公園に連れて行って、一緒に俺の手作りの弁当を一緒に食べようとおもうんだ。俺がこんなにめぐみのこと愛してるのに。振りむいてくれないんだ―。さびしいなー。さびしいなー。こんなに愛してるのにさーポヨポヨ。

 俺はめぐみとの毎日を充実させたいんだー。最近は、めぐみにいいところを見せようと、腹筋と腕立てだってしてるんだぜい、エイ、ヤマトシビレエイ。この俺のおおきな愛をめぐみはちっとも理解してくれないんだよーーーん。めぐみは無口でしゃべってくれないんだ。こんな無口なめぐみとこれからやっていけるか自信ないなー。俺の一途な愛、わかってくれ、めぐみ。

2011年6月7日(火)
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「鼻かみ列伝」



 鼻をかむこと30年。ついに私は鼻かみの奥義を極めけり。

 ここに来るまで私がどんなに辛酸をなめたことか。きっと民のものにはわからないのだ。

 毎日、毎日、鼻がずるずる流れ。交差点では、鼻水がダラーッと1メートルくらいも垂れ下がったのだ(実話)。その伸びた鼻をかむ紙がなかったので、指で切ったのだぞ。どうだ、どんなにこのわしが汚らしい奴かわかったろう。

 あるときは、鼻が垂れ、くしゃみをしたら、四方八方に花火のように飛んだのだぞ。その見事なことと言ったらなかった。それはそれはきれいな鼻びらだった。

 またある時は、鼻が垂れるのを止めようと息張ったので、糞も漏れてしまったのだ。おお、なんと汚らしい話題であろう。わしの汚さといったら比べるものがないほどに、見事なものだ。

 わしは、鼻かみと共に青春時代を過ごし、歳をとっていった。場数も踏んでいったのだ。

 鼻かみにもライバルがいたのだ。奴らとの壮絶な戦いは見物だったぞ。わしよりも強い、鼻かみがいたのだがそいつとの戦いを話そう。そいつの技は、両方の鼻から鼻水を垂らし、その伸びた鼻でわしの眼を狙ってくるのだ。そいつの鼻に眼を舐められたら、奴隷になってしまうという、それは怖い鼻かみ野郎だったのだ。そいつにどうやって勝ったのかって? それは、足をかけて転ばしたのじゃ、ワッハッハ。
 

 わしは鼻をかんだり、糞をしたりして自分自身を鍛えたのだ。鼻みず曲げ、鼻筋100回、鼻止め30分など、どの本にも出ていない鍛え方で訓練した。そのおかげで気力は充実し、鼻力もついていったのだ。そんなわしが一番つらかったのは、鼻水が出ない日が1年に2回くらいある、そんな日じゃった。鼻水の訓練をしたのに出なくて、水を鼻から入れて、どんなに痛かったことか。みんなも経験があるじゃろう。

 そんなわしが1年前に、奥義を極めたのだ。どんな奥義かって? そんなすぐには教えられないなあ。わしが30年もかけてたどり着いた、極めの技だからだ。それじゃずるいって? じゃあ少しだけ教えて進ぜよう。


 それはこのようなことじゃ。わしにとって鼻水が流れるのはあたりめじゃった。鼻水を流そうと思わなくても出てきたのだ。そう、訓練してつかむことではないのだ。鼻水の流れに身を任せ、鼻水の意思を聴くのだ。鼻水がどうしたいか。鼻水は答えを知っている。鼻水は進みたがっている。鼻水自身の気持ちがあるのじゃ。その気持ちを汲んで、好きなようにさせてやるのじゃ。こうしよう。ああしようと、考えるのではなくて、鼻水の進む道にジッと付き従うのだ。鼻水に寄り添うのじゃ。鼻水に従っていけば、鼻水は水を得た魚のように自由に大海を泳ぐのだ。いいか、わすれるな。鼻水の出す、ズルズルジュルジュル、ビチョビチョに耳をよく澄まし、聞き取るのじゃ。微妙な音の違いがあるから、その気持ちを汲み取ることじゃよ。少しは分かったかな? ちょってでもそんなものかなあと思えばよろしい。それでいいのじゃよ。


 鼻みず技を極めたわしからの話はこれで終わりじゃ。
鼻みずピチョピチョリン。トンコロニュウロン、チッツーナ。この呪文をよく覚えておけ。いつか役に立つことがあるじゃろう。では。

追記2011年2月2日(水)

「希望のつくり方」読み終わりました。ありがとうございました。(読みに対する正しい反応としても含めて)。

 Bud Powellバド・パウエル)を聞きながら、本の読書と引用を最後はしました。バド・パウエルの印象は、昔は壊れていただったけれど、今日感じたのは痛々しさだった。どんな生涯を送ったのだろう。精神病を持っていたと聞いているけれど。僕は好きです。







僕の成功体験
2011年2月2日(水)
 26歳くらいの時、バットをゴミステーションで拾った。木製で割れていた。ビニールテープで補強して使った。素振り用として。
 
 僕がバットを拾った理由は、なんでいいおっさんが、プロ野球高校野球などで、バットを振るんだという疑問があったから。理由がわからなかった。
 
 この間も、アパートの時に公園に出かけバットを振って、自分を支えてもらった。何もない時(休日)に出かけてやることとして、バットを振った。
 僕にとってバットを振ることは大事になった。今はやっていないけれど、機会があればまた振るだろう。

「希望のつくり方」を読んで、僕にもわからないことから成功した体験があったので書きました。

 負荷をかけるということでは、バットのほかに、近所の山のぼりなどもしました。いまはやっていません。